筋萎縮性側策硬化症(ALS)

 ALSの嘱託殺人事件…。

 私と同い年のALS男性患者さんも以前、眼球の動きも悪くなってきて意思を伝える術を失いかけてきたので、「人工呼吸器を外して欲しい!」と何度もお願いしてきて、私が断り続けているうちに、お母様が呼吸器を外して殺してしまって逮捕。執行猶予付きで釈放後、ご夫婦で心中を図って失敗し、お父様がお母様を刺し殺して、後を追えずにお父様が逮捕…。という、悲惨な事件がありました。

 「死にたいと言う言葉を鵜呑みにしないで!環境を整えて、生きる喜びを見いだして差し上げて!」とおっしゃる方もいるのですが、それは生き続けたい方にとってはごもっともなのですが、現実はそんな簡単な人ばかりではないのです。

 我々健常人でさえ、毎年何人も自殺を選ぶ方がいるのですから、ALS患者さんの中には、どんなに環境を整えても、どんなに救いの手を差しのべても、「死にたい!」という感情を抱くし、実際に真剣に自殺を希望する方も少なからずいるのです。

 この病気は、「人工呼吸器を付けなければ生きられない」というステージが必ず来ます。しかし、一旦呼吸器を付けてしまえば、呼吸器を外せば死ぬのですが、その時に自分で外そうと思っても病気によって体が動かないので自分では外せません。

 となると、第3者が外すしかないのですが、第3者が外せばその方は殺人という罪に問われます。

 …外せないから「呼吸器を付けない事を選択する」ことしかできなくて、不本意ながら付けずに亡くなっていく方が少なからずいます。

 中には、娘の成長、そして結婚までまでは生きたい、それを見たら呼吸器を外して欲しいという方も…。

 でも、付けたら外せないので、呼吸器を付けずに、そして娘さんの成長を見ることもなく、悔しい思いを抱きながら亡くなってしまうケースも…。

 そんな方を助けるためにも、この病気に限ってだけは呼吸器を外す権利を認めるべきであると、私は過去の経験上思っているのですけれども、この国では一向に話が進まないので、もし私がALSになっても、今の法律のままでは呼吸器は絶対に付けないでしょう。

 今回の嘱託殺人は全くお門違いのただの殺人ですが、法律が前を向いて、こういった方の「外す権利」を守らない限り、どういう形であれ、今後もこの病気のこういった事件は絶えないでしょう。

 ちなみに、その事件の後も何人かのALSの方を在宅で診ていますが、呼吸器を付けた上で幸せに人生を全うした方もいますし、今現在も呼吸器を付けて楽しく毎日を生きている方も診ています。

 私は別に自殺を推奨したり、認めたいと思っているのではなく、あくまでも法律というのは、生きる権利も死ぬ権利も含めて、それぞれの方の人権を平等に守るべきであると思っているのです。

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